マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

学問で生涯現役を貫くということは

 学問が発展していくということは――
 もちろん、新奇の知識が獲得されたり、従来の理解が深化されたりすることではあるのですが――

 同時に――
 無用な知識が廃棄されたり、誤謬の理解が指弾されたりすることでもあるのです。

 このことは、とくに年配の人たちに耐えがたいことに違いなく――

 なぜならば――
 自分が若い頃から親しんできた知識や理解と、容赦ない決別を迫られるからです。

 人は、歳をとればとるほどに、学問の発展を追いかけがたくなるのですね。

 齢九十を越えた老学者を想像しましょう。
 たぶん、あと何年も生きられない――自分の最期の時を、あれやこれやと様々な角度から想像をしていく――

 そんな老学者にとって――
 自分が関わる学問の発展にしたがい、自分が親しんだ知識や理解を一つひとつ捨てていくことが、どれだけ人情に反することか――

 たしかに――
 その知識の再編や理解の更新は、これからの世の中には、さぞかし有益で必要なことであるには違いない――

 が、自分自身にとっては、どうなのか――

 その「これからの世の中」に――
 自分は、もうすぐ別れを告げねばならないというのに――

 学問で生涯現役を貫くということは――
 おそらく、並大抵のことではありません。

 死が迫った学者に求められるのは――
 知力や洞察だけでなくて、胆力や達観なのです。