中国史の魅力というのは――
何なのでしょうね。
僕ら現代・日本人は、たぶん――
中国史の小説や入門書・解説書などの類いを、いわゆる国語の漢文的な素養を背景に読んでいるのですが――
そこで語られる歴史上の人物たちの活き活きとした生き様というのは――
どういうわけか――
現代の中国の人々の生き様とは、カチっと繋がらないのですよね。
いわゆる国語の漢文的な素養が色濃く反映された中国史というのは、せいぜい清の時代(17世紀~19世紀)くらいまでであって――
それ以後の中国史――要するに、中国近現代史――では様相が激変するのです。
この「激変」こそが――
少なくとも僕ら日本人にとっては、かえって魅惑の根源になっているような気がします。
言い換えると――
いわゆる国語の漢文的な素養で敷衍する中国史というのは――
あたかも現代の中国とは別系統の国の文化・文明の歴史であると錯覚をさせてしまう点に、その魅力があるのではないか、と――
もちろん――
あくまでも「錯覚」ですよ。
中国大陸という1つの大陸の上で変遷してきた社会の記録です。
多少の断絶はあったとしても――
別系統であるはずはないのです。
にもかかわらず――
別系統であるかのように錯覚をさせる――中国大陸の過去を遡ることが、まるで異世界に迷い込むことであるかのように――
この国で、
――中国史風ファンタジー
という一見奇妙なジャンルが成立している理由も――
たぶん、その辺に求めることができるでしょう。