マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

どこまで責任をとるべきか

 いわゆる代議士のような、

 ――公人

 について、私的なスキャンダルが発覚したときに――
 その公人は、どこまで責任を取るべきか――

 なかなかに厄介な問題です。

 もちろん、公的なスキャンダル――例えば、自身が与る行政裁量権を利用して、自身の政治資金は蓄えたり、特定の組織の便宜をはかったりすること――であれば――
 厄介な問題とはなりません。

 例えば、行政裁量権を乱用する代議士は、公的な役職を全て取り上げられて然るべきでしょう。

 が――
 私的なスキャンダルとなれば、そうはいかない――

 もちろん――
 完全に私的なスキャンダルであっても、明らかな違法行為――例えば、明確な不倫行為――であれば、「違法」という観点から、それは公的なスキャンダルも同然といってよいわけです。

 が――
 例えば、既婚異性の秘書とホテルの一室で一夜を共にしたこと――であれば――
 なかなかに厄介な問題です。

 実情はどうであれ、「徹夜で仕事の打ち合わせをしていた」と反論されれば、「不倫」とまでは断定できない――
 せいぜい、

 ――不倫を疑われるような不適切な行為

 といった程度の糾弾にいきつくのが精一杯でしょう。

 このときに――
 その代議士は、どこまで責任をとるべきか――

 ハッキリしていることは――
 民主主義の社会においては、次の選挙に立候補すれば、否が応でも責任をとらされる、ということです。

 多くの場合は、有権者から厳しい視線を浴びて落選することでしょう。

 では、その選挙が行われる前は、どうなのか――
 いったい、どこまで責任をとるべきなのか――

 例えば、公的な役職を全て辞するべきなのか――
 あるいは――
 落選する公算が高いので、あえて選挙に立候補しないという選択は、責任をとることになるのか――
 きちんと立候補して落選の憂き目をみることこそが責任を全うすることになるのではないのか――
 それとも――
 落選する公算が高いのに、わざわざ立候補するのは、かえって社会の迷惑行為にあたるのではないのか――
 などなど――

「なかなかに厄介な問題」と前述したのは――
 そうした理由によります。

 ちなみに、僕は――
 立候補して落選の憂き目をみることこそが責任を全うすることだと考えています。

 民主主義の社会においては――
 選挙で有権者に判断を委ねる機会こそが政治の基本であると感じるからです。