マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

相手が断定をしているのか、いないのかに

 言葉の扱いに十分に慣れてくると――
 相手が断定をしているのか、それとも断定はしていないのか――に、ずいぶんと敏感になります。

 通常、言葉の扱いに慣れている人が断定をすることは、極めて稀なので――
 もし、断定をされていれば、
(おや?)
 と思うのですね。

 逆に――
 断定がためらわれているようだと、
(そりゃ、そうだろう)
 と思うようになる――

 が――
 言葉の扱いになれているわけではない人は、その逆で――
 断定がされていないと、
(おや?)
 と思う――

 そもそも、相手が断定を避けていることに気づかない――

 例えば――
 相手が、

 ――AはBであるように考えられる。

 と注意深く断定を避けていたとしても――
 それを「AはBである……」と聞き取ってしまう――
「……ように考えられる」の部分を聞き落としてしまう――

 要するに――
 いくら自分が言葉の扱いに十分に慣れていても――
 相手が言葉の扱いに十分に慣れていなければ――
 重大な齟齬をきたしうる――
 ということですね。