マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

どこまでが必要で、どこからが十分か

 数学の領域で、しばしば、

 ――必要かつ十分

 という概念が扱われますが――

 この概念――
 現実の世界では、まず意味をなさないと考えております。

「必要かつ十分」とは、あえていえば、

 ――必要最小限でありながら、最大限十分に――

 ということです。

 こういう概念は――
 形式的な虚構の世界で成り立つことはあっても、現実の世界で成り立つことは、まずありえません。

 例えば――
 あることを判断するのに必要な情報量と、同じことを判断するのに十分な情報量とは、合致するものでしょうか。

 ふつうに考えれば、必要な量とは十分な量よりも必ずや少ないはずで――
 十分な量を提供すれば、ほぼ必然的に余剰が生まれるものです。

 では、「十分な量」ではなく「必要な量」に着眼すれば良いのかといえば――
 そうでもなくて――

 そもそも「十分」とか「必要」とかは、最後は個人の主観が決めることですから――
 提供する側にとって「必要」と感じられる量が、提供される側にとっては「不足」と感じられたり――
 あるいは――
 ときに「過剰」と感じられたりすることさえ、大いにありうるのです。

 どこまでが必要で、どこからが十分かの判断は、個人によって合致しないのが当たり前で――
 むしろ合致することのほうが珍しいといえましょう。