皆さんは、迷信に惑わされますか。
僕は――
けっこう惑わされるのです。
「迷信」というよりは、「俗信」といったほうが、よいのかもしれません。
「俗信」は、確かな根拠を欠いた思い込みによる考え方や物の見方を指します。
例えば、
――くしゃみをしたときは、他人が自分を噂したとき――
とか――
一方、「迷信」は、社会通念上、明らかに有害な思い込みを指すそうです。
例えば、
――風邪は人にうつすと早く治る。
とか――
「明らかに有害」ですから――
迷信に惑わされるのは、よくないのですね。
が――
俗信であれば、とくに有害といえたわけではないのですから――
いってみれば――
俗信には、あえて惑わされてみる自由もあるように思います。
少なくとも僕は――
ときに、
(惑わされてみようかな)
と思うほうなのです。
その理由は――
結局は、
――自分が一度は信じたものは、最後まで信じていたい。
という根源的欲求に根ざしています。
たとえ、俗信であっても――
それが自分の信じたものであるならば――
それを信じた自分を含めて、とことん信じ続けていたい――
そういう気持ちのことですね。
俗信を受け入れるというよりは――
俗信を受け入れた自分を受け入れる――
たとえ――
その結果、自分が惑わされることになったとしても、それはそれ――
……
……
人生って――
たぶん、そんなもんでしょう?