マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

討論は見物に値するのか

 テレビで討論番組をみていると――

 討論というものは、見物に値するものなのかどうか――
 ちょっと、よくわからなくなることがあります。

 もちろん――
 その討論番組を放映している制作サイドは、見物に値するものだと思って放映しているに違いないわけですが――

 はたして――
 本当に、そう思っていてよいものか、と――

 例えば――
 討論の最中に、誰かが発言をし、その真意を自分が掴み損ねたときに――
 以後の討論は、自分にとって、はたして見物に値するものか、と――

 実は、

 ――掴み損ねた。

 と自覚できたときは、まだマシであって――
 自覚できなかったときは、どうしようもない――

 自分勝手な誤解の下に、

 ――議論が全く噛み合っていない!

 などと不満を抱くことになりかねない――

 そんな見物は不毛ですよね。

 見物ではなく、参加をしていれば――
 問題はないのです。

 きちんと討論に参加していれば――
 自分勝手な誤解には、その場で気づくチャンスがいくらかはありますので――