マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

夭逝をした人は

 歴史上の人物で夭逝をした人は――
 通常、全く関心を払われていない、もしくは、過剰に肯定・賞賛されているのどちらかであることが、ほとんどのようですね。

 夭逝しているわけですから――
 歴史に残された痕跡や業績は、ごくわずかです。

 ですから――
 全く関心を払われていない例が多いのは自然であり――
 むしろ、過剰に肯定・賞賛されている例があること自体、きわめて不自然であるというべきでしょう。

 にもかかわらず――
 たまに、過剰に肯定・賞賛されている例を見聞きします。

 面白いことに――
 過剰に否定・侮蔑されているような例は、一つも見聞きしたことがありません。

 それは、夭逝をした人物に抱く同時代ないし後世の人々の哀感――
 そして、その人物を見送った家族や親族への同情や共感――によるものでしょうか。

 こういうことに気がつくと――
 人間の性善説をつい素直に信じたくなります。