結論がでない議論というのが――
人の思考力を鍛え、感受性を磨くといえましょう。
結論が出ない議論とは――
古くて新しい議論です。
例えば――
国家は個人をどこまで束縛すべきか、あるいは、どこから自由にすべきか――
科学者は自身の研究を進める上で、どこまで社会への利益還元を考えるべきか――
など――
こうした問題を考え、感じることで――
人は、自身の思考力や感受性の限界を感じとるのです。
思考力の限界というのは、比較的わかりやすいと思います。
例えば、
――ああ、もう、わからない。何をどう考えたらいいのかさえ、わからない。
という結論に達することです。
それは結論になっていない結論ですね。
まさに「思考力の限界」というにふさわしい――
これに対し――
感受性の限界というのは、わかりにくいかもしれません。
それは――
例えば、
――ああ、もういいよ。これ以上、考えたって無駄だ。
と諦念を抱いたかと思うと、
――いやいや、ちょっと待てよ。こういう切り口で考えたらどうだろう?
と再び好奇の関心を持つ――
そのようなサイクルを繰り返すことです。
これを繰り返すことで――
人は、自分の感覚が、つねに絶対的でありながらも、そのつど一過性であることを痛感するのです。
これが「感受性の限界」です。