マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

つまらなさの感じ方は、案外、万人に共通ではないか

 おとといの『道草日記』で、
 
 ――新幹線の中での“6時間の自由”をどうしようか。
 
 という話を述べました。
 
 結局――
 選んだのは、数学の本を読むことでした。
 
 ただ読むのではなくて――
 ノートやペンをもって、手元で演算を再現しながら読む、ということです。
 
(これなら、6時間、退屈はしないて済みそうだ)
 
 わりと自信満々で――
 僕は、新幹線に乗り込みました。
 
 が――
 
 ……
 
 ……
 
 アイディアとしては、決して悪くなかったと思うのですが――
 
 ちょっと選書に失敗をしたようでして――
 残念ながら、“6時間の自由”を有意義に満喫できた、というわけにはいきませんでした。
 
「選書に失敗をした」とは――
 もう少し簡単にいうと――
 
 その数学の本が、ぜんぜん面白くなかったのです(苦笑
 
 ……
 
 ……
 
(なんで、こんなにつまんないんだろう?)
 と――
 むしろ関心してしまったくらいです。
 
 もう少し面白いと思ったのですがね~。
 
 ……
 
 ……
 
 なので――
 途中から思索にふけるようになりまして――
 
 曰く、
 
 ――面白くないものは、なぜ面白くないのか、いかに面白くないのか。
 
 ということを――
 けっこう真剣に考えたりしました。
 
 そして――
 得られた結論の1つが、以下のもの――
 
 ――「なぜ面白いのか」とか「いかに面白いのか」よりも、「なぜ面白くないのか」とか「いかに面白くないのか」という問いのほうが、他者と共有可能な回答を導き出せそうである。
 
 というものです。
 
 面白さの感じ方は、たぶん人それぞれです。
 
 が――
 つまらなさの感じ方は、案外、万人に共通ではないか――
 例えば、
 
 ――意外性がない。その先の展開が十分に予見可能である。
 
 とか、
 
 ――表層的な些事にとらわれて、本質的な関心事に至らない。
 
 とか――
 
 まあ、それなりに退屈はしない“6時間”でしたよ。
 
 往復ですから――
 正確には“12時間”でしたけど……。
 
 ……
 
 ……
 
 12時間か。
 
 ……
 
 ……
 
 半日か。
 
 ……
 
 ……
 
 すごいな……(笑