マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

文章を何年も書き続けて初めてわかること

 文章を何年も書き続けて初めてわかること――
 というのが、少なくとも2つはあります。
 
 1つは――
 無駄のない文章が、もっとも読まれやすいし、理解されやすい、ということ――
 
 もう1つは――
 書き手が油断をすれば、文脈は容易に断絶されてしまう、ということ――
 
 とくに、2つめの「文脈は容易に断絶されてしまう」というのは――
 若さや勢いだけで文章を書いているうちは、なかなか気づかないことではないでしょうか。
 
 少なくとも僕自身は――
 気づけなかったですね――10代や20代の頃は――
 
 41歳になった今――
 自分が10代の頃に書いた文章を読み返すことが、たまにあるのですが――
 
 しばしば、
(なんじゃ、そりゃ?)
 と厳しく突っ込みを入れております(苦笑
 
(若さと勢いだけ書きやがって……!)
 みたいな……(苦笑
 
 ……
 
 ……
 
 でもね――
 
 当時の自分のことは――
 今でも覚えているのですよ。
 
 10代の頃の自分が、何を感じ、何を考え、何を書こうとしていたのか――
 
 そういうことを思い返していたら、
(な~んもいえないな)
 と思うのです。
 
 人に読まれやすいとか、人に理解されやすいというのは――
 基本的には、どうでもよかったのです。
 
 文脈が断絶されている? かまわん、かまわん――
 みたいな……(苦笑
 
 ただ、ひたすら書きたかった――
 書き表しておきたいことがあった――
 
 ただ、それだけでした。
 
 文章を何年も書き続けて初めてわかることがある、というのは――
 当時の自分には思いもよらぬことだったのです。