マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

地球の外から地球を写した画像をみるのが

 地球の外から地球を写した画像をみるのが――
 好きです。
 
(綺麗だな~)
 と心から思えます。
 
 けれども――
 
 それと同時に――
 何となく後ろめたい気分にもなってくるのですね。
 
 その理由をご説明すると――
 ほとんどの人は笑い出すのですが――
 
 まあ――
 とりあえず、ご説明を申し上げましょうか。
 
     *
 
 僕ら日本人は――
 自分たちが生まれ育った惑星を、
 
 ――地球
 
 と言い表していますね。
 
 他の言語圏では――
 例えば、英語の「Earth」のように、多くは、
 
 ――大地
 
 を指す言葉で言い表しています。
 
 これって――
 よく考えたら、おかしいのですよね。
 
 地球の外から地球を写した画像などをみていると――
 どう考えても、「地球」ではなく、「海球」と言い表すほうが妥当なような気がします。
 
 他の言語圏でも、「大地」ではなく、「大海」を指す言葉のほうがふさわしいといえましょう。
 
 何しろ――
 この惑星の表面の7割は、“地”ではなく、“海”で覆われているのですから――
 
 それでも、僕らは、この惑星のことを、「地球」といったり、「大地」といったりしています。
 
 それは――
 生命史的に僕らに近い先祖たちは、“海”ではなく、“地”で育まれ――
 
 そして何よりも――
 僕ら自身は、“海”ではなく、“地”で生まれ育ち、主に“地”の上で暮らしているからです。
 
 でも――
 僕らから遠い先祖たちについていえば――
 彼らは、ほぼ間違いなく、“地”ではなく、“海”で育まれているのですよね。
 
 そして――
 僕らの先祖のほとんどは、生涯の全てを“海”で過ごしていたはずです。
 
 生命の誕生は約35億年前――
 生命の上陸は約4億年前――
 と考えられています。
 
 僕らは、僕らの先祖も含めた全生命体を代表して、この惑星に呼称を与えるのなら――
 それは、「地球」や「大地」ではなく、「海球」や「大海」であるべきなのです。
 
 でも――
 無理ですよね。
 
「海球」や「大海」では、ピンとこない――
 
 まあ――
 
“海”の下には海底があり、海底は“地”といえなくもないであろう――
 だから、「地球」でよい、「大地」でよい――
 という釈明は――
 それなりに強力であるとは思いますが……。
 
 でも、それって――
“地”で生まれ育った僕らの屁理屈ではないかな~。
 
 ……
 
 ……
 
 なんてことを考えるので――
 
 何となく後ろめたい気分になるのです。