マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

リアリティのある虚構

 ――リアリティのある虚構
 
 などといいますが――
 その真意には十分に注意しておく必要があると、僕は考えています。
 
 虚構をいくら解きほぐし、見きわめたところで――
 そこには一切の現実を見出せません。
 
 虚構の世界の中を――例えば、小説や映画やゲームなどの物語世界の中を――隅々まで探査したところで――
 現実の断片を一切れだって拾い上げることはできません。
 
 できるのは――
 虚構の世界を隅々まで探査したあとで――
 いったん現実の世界に意識を舞い戻らせることです。
 
 そして、虚構の世界で疑似体験してきたことを――小説や映画やゲームの物語世界で疑似体験してきたことを――現実の世界でも通用しうる経験のようなものに置き換える――
 
 ここでいう「経験のようなもの」とは、
 
 ――「虚構の世界で疑似体験してきたこと」に何らかの普遍性を見出し、それを抽出し、他の具体性は捨象した結果、残されたもの
 
 です。
 いわば「疑似経験」とでも呼ぶべきものといえましょう。
 
 この「疑似経験」を有意にもたらしうる虚構こそが、「リアリティのある虚構」です。
 
「リアリティのある虚構」とは、「現実の断片を含んだ虚構」ではありません。
 
 どんなに荒唐無稽な虚構であっても、その虚構を疑似体験した人に有意義な「疑似経験」をもたらしうるなら――
 それは「リアリティのある虚構」なのです。