人の営みには、
――行為
と、
――表現
との少なくとも2種類がある、と――
僕は考えています。
例えば――
政治や商売は行為で――
言論や報道は表現です。
発明や開発は行為で――
学問や芸術は表現です。
この行為と表現との“垣根”を越えるか越えないかで――
議論の起こることがあります。
例えば、
――報道記者が政治家になるのはおかしい。
とか、
――実業家が経済学者になるのはおかしい。
とか――
僕は、別に「おかしい」と思いませんが――
たしかに、そうした“垣根の乗り越え”がウマくいった例は――
決して多くはないと感じます。
稀にウマくいくのですが――
そうやってウマくいった人たちでさえも、ウマくいったあとで誰かに厳しく非難され続けることが珍しくありませんので――
“垣根”を越えるというのは、
(とにもかくにも大変だ)
と思っています。
それでも――
この“垣根”を越えて生きようとする人たちが、少なからずいて――
その人たちの生き方をつぶさにみていると――
多くは、
――たぶん、そうとしか生きられないんだろうな。
と感じます。
つまり、“垣根”を越える以外に生きる道がない――探せない――探し出せない――
ウマくいかなくたっていい、誰かに非難され続けたっていい――どうしても“垣根”を越えたくなってしまう――
越えたくて、越えたくてムズムズしてしまう――どうにもガマンできなくなってしまう――
そういうことなのだろうと思います。
そういう人たちは――
あえて万難を排してでも、その“垣根”を越えて生きていくのが幸せでしょう。
人生、何が成功で、何が幸せかは――
その人生を享受している当人が決めることです。