マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「人は論理的に考えても間違える」で何を間違えるのか

 ――人は論理的に考えても間違える。
 
 という見解がありまして――
 だから、
 
 ――論理的に考える必要はない。
 
 と主張する向きもあるのですが――
 
 それは強弁でしょう。
 
 論理的思考には始点と経路と終点とがありまして――
 
 始点とは、論理的思考の前提となる仮定や認定です。
 経路とは、論理的思考の途中経過です。
 終点とは、論理的思考が導き出した結果や結論です。
 
 このうち――
 経路で間違えるのは、論理をよく理解していないからです。
 
 例えば、論理とは何かとか、何が論理なのかとか、それはどのように使うものなのかを経験し、学習し、模倣するなどして、実践的な鍛錬を積んでいけば――
 誰でも、経路では間違わなくなります。
 
 経路で間違わなければ、終点は間違えません。
 
 では、何で間違えるのか――
 といえば――
 
 始点です。
 
 論理的に考える上で、何を前提に据えるか、どんな事実を真実として認定するかで間違えたら――
 当然のことながら、あとに続く経路や終点も、見かけ上、間違っているように見えてしまいます。
 
 ですから、「人は論理的に考えても間違える」は正確ではありません。
 
 ――人は論理的に考えても間違える。論理の前提や真実の認定を間違えれば――
 
 であれば、正確といえましょう。
 
 では――
 論理の前提や真実の認定を間違えないようにするには、どうしたらよいのか――
 
 それには――
 感性を磨くしかないのだと思います。
 
 良いものを「良い」と感じ、悪いものを「悪い」と感じる――論理を抜きに感じようとする――
 
 もちろん――
 この場合の「良いもの」とは、世の人々の多数派が「良い」と感じるものであり、「悪いもの」とは、世の人々の多数派が「悪い」と感じるものです。
 
 つまり――
 良いものを「悪い」と感じ、悪いものを「良い」と感じても、感性を磨くことにはなりましょうが――
 その感性は、世の人々の多数派には決して受け入れられない感性に磨き上がっていることでしょう。