マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「イギリスとヨーロッパ」が良くない理由

 イギリス人の中には、

 ――イギリスとヨーロッパ

 という表現を好む人がいるそうです。

 これが、

 ――けしからん!

 と非難されることも少なくないのだとか――

 その理由は、僕ら日本人にも覚えがあります。

 この話を日本に置き換えてみると――
「イギリスとヨーロッパ」は、

 ――日本とアジア

 に相当します。

 この表現は、昨今では滅多に用いられません。

 ふた昔くらい前までなら、この表現をうっかり用い、

 ――日本もアジアの一部なのだから、その表現はおかしい。

 と非難されて――
 ばつの悪い思いをする人が少なくありませんでした。

「イギリスとヨーロッパ」が非難される理由も――
 たぶん同じです。

 が――
 ここまで考えて――

 ふと疑問に思いました。

(たしかに「日本とアジア」は良くないが、「日本と世界」は、とくに問題がないような……)

 ……

 ……

 これは、どうしたことか――

 不思議です。

 ……

 ……

 日本は、アジアの一部であると同時に、世界の一部でもあるのですから――
「日本とアジア」が非難されるのと同じ理由で、「日本と世界」が非難されても、不思議ではないように思えます。

 なぜ「日本と世界」は良くて、「日本とアジア」は良くないのか――
 すぐには説明がつきません。

 ……

 ……

 なので――
 ちょっと考えてみました。

 ……

 ……

 思うに――

「世界」は常に外部を考える必要がなく、「アジア」は常に外部を考える必要があるから――
 ではないでしょうか。

 つまり――
「日本とアジア」が良くない理由とは――
 日本がアジアの一部であることを否定しているからというよりも――
 アジアの外部の存在――例えば、アフリカやアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアなどの存在――を無視しているからではないか、と――

 ――日本だってアジアの一部なのに……。

 と首をひねるのは――
 主にアジアの外部の人たちの視点に立つ場合です。

 逆に、「日本と世界」が良い理由は――
 世界の外部なら、無視をしても全く現実的な問題がないからです。

 異世界の生命体が、

 ――日本だって世界の一部なのに……。

 と首をひねる可能性は、とりあえずは考える必要がない――

 ……

 ……

 要するに――

「イギリスとヨーロッパ」が良くない理由とは――
 それが、あたかもヨーロッパの外部を無視しているかのような表現だから――
 ということです。