マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「書く」にひそむ「待つ」

 文章を書くには、孤独が必要です。

 あちこちに出向いて、色々な人たちとお話をしていると――
 何一つ書きたくなくなります。

 反対に――
 自分の部屋にこもって、自分の心の声に耳を傾けていると――
 何かを書きたくなります。

 文章を書くとは、自分の精神の内奥から湧き上がってくる何かを、一つひとつ丁寧にすくいとっていく営みです。

 したがって――
 自分の精神が何かを湧き上がらせるまでは、じっと待っていなければなりません。

 何も湧き上がってこないのに、何かを必死ですくいとろうというのでは――
 枯れ井戸に水を求めるようなです。

 枯れ井戸は、その底を決して覗きこんではいけない――
 井戸が湧き水をたたえるまで、井戸の傍でじっと待っている――
 文章を書くという行為の半分は、待つという行為です。

「書くという行為」には必ず「待つという行為」がひそんでいます。

 だから、プロは凄いのです。

 作家は、「書く」のために「待つ」にかかる短時間を縮めることが求められます。
 求められるままに縮められる人が、プロとして頭角を表すようです。