マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

深い文章を書くかどうかと医師であるかどうかと

 高校の頃――
 国語の先生が、授業中に、医師で作家の人の作品に触れ、
「深い文章ですね。お医者さんは、人の生き死にをよく見ているから、きっと、いろんなことを考えるんでしょう」
 と感じ入っていらしたのをみて――

(そうか。お医者さんは人の生き死にをよく見ているから、深い文章が書けるのか)
 と思ったことがあります。

 が――
 その後、自分で医師になってみて――
 35歳を過ぎた頃からは――

(いやいや、そんなことはない)
 と思うようになりました。

(人の生き死にをよく見た結果、深い文章を書くようになる医師と書くようにはならない医師とがいるだけだ)
 と――

 つまり――
 深い文章を書くかどうかと医師であるかどうかとには、これといった因果関係も相関関係もない――
 ということです。

 が――

     *

 きょう、ある医師の随筆を読んでいて――
 次のような一節に出会いました。

 ――先日、健診で出会った幼稚園生に、「僕も将来、先生みたいなお医者さんになる」といわれた。「そうか、そうか」といって喜んでいたが、その幼稚園生が高校を卒業し、医学部に入学し、国家試験に合格し、臨床研修を終えて、自分で自分を「お医者さん」と認められるようになるのに、何年かかるのか。ざっと30年はかかる。その頃、私は、どうなっているのか。おそらくは鬼籍に入っているのではあるまいか。

 ……

 ……

 医師が、人の生き死にをよく見るのは事実でしょう。

 もし――
 人の生き死にをよく見ている医師が、深い文章を書くようになるのであれば――

 それは、たぶん――
 自分自身の生き死にをよく考えるようになるからです。

 自分は――
 いつ、どこで、どのように死ぬのか――
 その時まで、どのように生きるのか――