マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「安全・安心」は意味不明で奇妙奇天烈だけど

 ――「安全」と「安心」とは違う。
 
 と、よくいいますね。
 
 たしかに、違います。
 
「安全」とは――
 主に、何かサービスを提供する側によって、
 
 ――これは安全です。なぜなら○○が△△であるからです。
 
 と、ある程度、客観的な資料の添付などによって担保される評価であり――
 
「安心」とは――
 主に、何かサービスが提供される側によって、
 
 ――これは確かに安心だ。少なくとも私には、そう感じられる。
 
 と、ある程度、主観的な心情の自覚などによって支持される感想です。
 
 このように――
「安全」と「安心」とは、まったく異質の概念なのですが――
 ときに、これら二語が並置されて、例えば、
 
 ――消費者の皆さまの安全・安心のために――
 
 といったスローガンに好んで使われます。
 
 こうしたスローガンを、
 
 ――意味不明だ。
 
 とか、
 
 ――奇妙奇天烈だ。
 
 と批判する向きもあるのですが――
 僕は、必ずしも、そうは思いません。
 
 たしかに、意味不明で奇妙奇天烈ではありますが――
 それには必然があり――
 
 といいますのは――
 何かサービスを提供する側は、サービスが提供される側に常に「安心」を感じていてほしいし――
 何かサービスが提供される側は、サービスを提供する側に常に「安全」を示していてほしいのですね。
 
 両者の間には容易には越えがたい深い溝が横たわっていて――
 それでも、どうにか折り合いをつけようと互いに必死の努力を続ける結果、
 
 ――安全・安心
 
 という語句が、しぜんと使われるようになるのではないでしょうか。