マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

隔世の感は20年の経過であっても十分に味わえる

 例えば、1950年代以前生まれの人たちにとっては“当たり前”であることを――
 1970年代以後生まれの人たちが“発見”し、“新事実”と認識し、それを書籍に著して名声を得る――
 ということが――
 ときどき起こるのだそうです。
 
 年配の人が記していると思われるブログで――
 指摘されていました。
 
 もちろん――
 そうした書籍を賞賛しているのは、主に1970年代以後生まれの人たちなのでしょうが――
 なかには1950年代以前生まれの人たちも含まれていて――
 
 その年配のブロガーは、そうした人たちに対し、
 
 ――そんなことも知らなかったのか。
 
 と苛立っていた――
 というのが、真相のようでした。
 
 年配の人が、「そんなことも知らなかったのか」と同年代の人たちを蔑むのは、ともかくとして――
 自分より下の年代の人たちを蔑むのは――
 どうかと思います。
 
 当たり前ですが――
 知識や理解の世代間較差は、いかんともしがたいものです。
 
 自然科学領域や人文科学領域では、それほどでもないように思いますが――
 社会科学領域では、事項によっては、ときに埋めがたいほどの較差が生じている――
 
 例えば、いわゆる70年安保闘争当時の日本社会の世相については――
 その世相を肌で知っている1950年代以前生まれの人たちと、資料でしか知らない1970年代以後生まれの人たちとでは、大きな較差がある――
 ということです。
 
 1950年代以前生まれの人たちにとっての“当たり前”が――
 1970年代以後生まれの人たちにとっての“新事実”であったとしても――
 不思議はないと思います。
 
 そのことが、1950年代以前生まれの人たちにとっては、どんなに甘受しえないことであっても――
 致し方のないことでしょう。
 
 おそらく――
 人の世では、隔世の感は20年の経過であっても十分に味わえる――
 ということです。