きのうの『道草日記』で――
失敗には3種類あるということを述べました。
(A) 利益を取り損ねる失敗
(B1) 再起不能の損害を被る失敗
(B2) 再起可能の損害を被る失敗
の3種類です。
人生で大成功を収める人というのが――
少数ながら、いますよね。
そういう人は、おそらくは(A)「利益を取り損ねる失敗」の少ない人です。
利益を着実に獲得し続け――
それらの積み重ねを大成功につなげているのだと思います。
が――
たいていの人は、とくに人生で大成功を収めているわけではない、という事実を考えると――
この(A)の失敗を少なくするのは、かなり難しいことであるに違いありません。
なぜ(A)の失敗を少なくするのが難しいのか――
それは、純粋に(A)だけの失敗というものが珍しいからです。
たいていは、(B2)「再起可能の損害を被る失敗」と抱き合わせになっているのですね。
*
おとといの『道草日記』でご紹介した小学6年のマル太の“失敗談”は――
きのうの『道草日記』の末尾でも述べたように――
基本的には(B2)「再起可能の損害を被る失敗」ですが――
それだけではなくて、(A)「利益を取り損ねる失敗」も含まれています。
どんな利益を取り損ねたのか――
それは、
――自分が道化になって皆を楽しませる喜びを知る利益
であり、
――自分の弱さや狡さに気づき、受け入れる好機を活かす利益
です。
小学1年のマル太が、前の走者から断トツの1位でバトンを受け取ったのに、隣の走者がバトンを受け取るまで待とうとしたことは――
単に、リレー競走のルールを知らなかったことによります。
それは、小学6年のマル太も十分わかっていたように、いわゆる“ふつうの失敗”でした。
前述の3種類のどれかに分類するとすれば、(B2)「再起可能の損害を被る失敗」でしょう。
が――
そのあとで、このことを種にからかわれて恥ずかしい思いをした、ということを――
小学6年のマル太は述べておりますけれども――
この失敗は、あきらかに(A)「利益を取り損ねる失敗」です。
せっかく自分の過去の失敗を話の種にしてくれた級友がいたのです。
それを活かし、
――いや~、あの時はリレーのルールを知らなくてさ……。
くらいでもいえれば――
級友らから同じ大笑いをされるにしても――
まったく意味合いの異なる感覚を持つことができていたはずです。
さらにいえば――
小学6年のマル太は――
自分が、断トツの1位でバトンを受け取りながら、隣の走者がバトンを受け取るまで待ってしまったものの、先生に促されて、すぐに走りだし、どうにか1位を保てた――
と主張しておりますが――
これは――
今の僕の記憶とは食い違っています。
この時、小学1年のマル太は、本当は1位の座を明け渡しているのです。
さすがに最下位にはならなかったと思いますが――
まあ、それに近い順位ではなかったかと思います。
小学校の1年生が、公衆の面前で自分の誤りを指摘され、気が動転しないわけはありません。
そんな精神状態で1位を保てるわけがないのですね。
そのことは――
小学6年のマル太もわかっていました。
わかっていながら――
小学6年のマル太は、そのことを素直に認めて卒業文集で告白することが、できなかったのです。
自分の弱さや狡さに気づいていながら、それを受け入れることができなかった――
まことに絶好の機会を逃したというより仕方がありません――自分の弱さや狡さを認めて受け入れることで、精神的に成熟することができなかったのですから――
よって――
この失敗も、(A)「利益を取り損ねる失敗」であることは明白でしょう。
きのうの『道草日記』で、
――小学6年のマル太の“失敗談”には、まったく避ける必要のない失敗である(B2)「再起可能の損害を被る失敗」だけではなくて、できれば避けたい失敗である(A)「利益を取り損ねる失敗」も含まれている。
と、僕が述べたのは――
そうした理由によります。
このようにして――
できれば避けたい失敗と、まったく避ける必要のない失敗とは――
どういうわけか――
しばしば抱き合わせになるのですね。