できれば避けたい失敗と、まったく避ける必要のない失敗とは――
きのうの『道草日記』でも述べましたように――
しばしば“抱き合わせ”になるものですから――
失敗を3種類に分ける発想というのは――
実は、そんなに有効とはいえません。
3種類の失敗とは――
おとといの『道草日記』で示した、
(A) 利益を取り損ねる失敗 → できれば避けたい失敗
(B1) 再起不能の損害を被る失敗 → 絶対に避けなければならない失敗
(B2) 再起可能の損害を被る失敗 → まったく避ける必要のない失敗
の3つです。
これら3つの失敗のうち、(A)と(B2)とはセットになっていることが多く――
また――
世の中の失敗のほとんどは、これら2つの失敗のセットであるものですから――
結局のところ――
失敗の分類として有効なのは、
分類【1】
(A)利益を取り損ねる失敗
(B)損害を被る失敗
もしくは、
分類【2】
(B1) 再起不能の損害を被る失敗
(B2) 再起可能の損害を被る失敗
です。
分類【1】は、
――“利益”対“損害”の対比
です。
この分類は、世の中の失敗のほとんどには、実は相容れない2つの性質が備わっている、ということを暗に主張しています。
例えば、会社の上司が新入社員に向かって、
――失敗を恐れるな!
と叱ったかと思うと、
――なに失敗してるんだ!
と怒鳴ったりしてしまうのは――
このことに起因します。
一方――
分類【2】は、
――“再起不能”対“再起可能”の対比
です。
この分類は、世の中で起こる数々の失敗の中には決して取り返しのつかない失敗も混じっているのだ、ということを暗に主張しています。
例えば、会社の上司が新入社員に向かって、
――失敗を恐れるな!
と叱るときは、まずまず冷静なのに、
――なに失敗してるんだ!
と怒鳴るときは、ひどく感情的になってしまう、というのは――
このことに起因します。
去年、僕が監修を担当させて頂いた書籍『失敗が教えてくれること』は――
主に分類【1】の「“利益”対“損害”の対比」を意識した造りになっています。
この書籍で、失敗が、
――利益獲得型の失敗
と、
――損害回避型の失敗
とに分けられているのは――
こうした造りを反映したものです。
が――
本当のところをいうと――
僕は、この分類【1】の対比よりも、分類【2】の「“再起不能”対“再起可能”の対比」のほうが、実社会では、より重要であるように感じています。
実社会における何らかの試行に際しては――
その試行の失敗によって被る損害の程度を正確に見積もることこそが重要であり――
その試行が利益の獲得を目指したものなのか、あるいは損害の回避を目指したものなのかは、さほど重要ではない――
と、僕は考えています。
それにもかかわらず――
僕が、『失敗が教えてくれること』の監修にあたって、分類【2】の「“再起不能”対“再起可能”の対比」ではなく、分類【1】の「“利益”対“損害”の対比」を意識したのは――
実社会では、分類【2】の対比よりも、分類【1】の対比のほうが、より忘れられることが多い、と感じているからです。
分類【2】の「“再起不能”対“再起可能”の対比」は――
例えば医療業界では、ごく当たり前に意識されているのですよね。
医学生は、医療の現場に出ないうちから、分類【2】の対比を徹底的に叩き込まれます。
そのために――
分類【2】の対比を意識しない医師は、ほとんど存在しないといっても過言ではありません。
が――
分類【1】の「“利益”対“損害”の対比」は、そうでもない――むしろ、医療業界では、ほとんど意識されていないといってもよい――
おそらく、他の多くの業界でも、似たような状況ではないでしょうか。
ですから――
僕は、『失敗が教えてくれること』の監修にあたって、「利益獲得型」と「損害回避型」との2つのキーワードをご用意しました。
それらキーワードが巧く機能しているかどうかは――
ぜひ読者の皆様にご判断を頂きたいと思っております。