マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ふかふかの布団の心地よさを、うんちくを絡めて論じるかのような

 ――美しい

 という言葉は、
(注意して使わないとな)
 と思っています。

 というのは――
 人が、何かを「美しい」と評する場合――
 おそらく、ほとんどは――
 その“何か”を見たり、聴いたりして、

 ――心地よい。

 と感じた結果の「美しい」であろうと思うのですよね。

 当たり前ですが、「心地よい」というのは主観的な感覚です。
 主観的ですから、他者との共感は期待しにくい――もちろん、偶発的に共感できることはあるにしても――

 よって――
 例えば、美術作品などを見たり、音楽作品などを聴いたりして、「美しい」と評することは――
 単に、それら作品を自分が「心地よい」と主観的に感じたことの吐露に他ならないはずです。

 いいかえるなら――
 その「美しい」は――
 単に、ふかふかの布団に入って「心地よい」と主観的に感じたことの吐露に他ならないはず――
 ということです。

 もちろん――
 吐露しても恥ずかしくないような感覚なら――
 どんどん吐露してよいわけですが――

 そうでないのなら――
 ちょっと気をつけたほうがよいでしょう。

 顔から火が吹き出るような後悔をする可能性が高いと思います。

 また――
 美術作品や音楽作品を「美しい」と評しながら、うんちくを絡めて論じることにも――
 慎重になったほうがよいでしょう――ふかふかの布団の心地よさを、うんちくを絡めて論じるかのような滑稽さが、生じかねませんので――