マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

比べられないことを、比べられないとわかっていながら、あえて比べたがる

 人は、ときに――
 決して比べようがないことをあえて比べようとしますよね。

 例えば、娯楽雑誌などで、

 ――歴代プロ野球選手で最強のホームラン・バッターは?

 みたいなアンケート企画を、時々、目にします。

 もちろん――
 50年前のプロ野球と今のプロ野球とでは、球場の環境やピッチャーの技術が違いますから――
 50年前のホームラン・バッターと今のホームラン・バッターとを比べることには無理があります。

 そういうことは、頭ではわかっていても――
 つい人は比べてしまう――

 それは――
 何もプロ野球に限った話ではありません。

 ワーク・ライフ・バランス(work-life balance)なども一例です。

「ワーク・ライフ・バランス」とは、日本語でいえば、「仕事と生活との調和」となるそうですが――

 簡単にいうと――
 仕事で得られる満足とプライベートで得られる満足との釣り合いです。

 釣り合いですから、比べることが前提になっています。

 が――
 仕事で得られる満足とプライベートで得られる満足とを比べることなど――
 できますかね。

 もちろん――
 比べた気になることはできますが――

 そのとき、
(はたして自分は本当に2つの満足を比べているのか)
 と、自問したら――
 たぶん、
(そうじゃないだろう)
 と思います。

 そもそも――
 満足の程度など、数値化できませんよね。

 数値化できないことを比べるなどは――
 まあ、無理でしょう。

 仮に数値化できたとしても――
 その数値を比べることに、何か意味はあるでしょうか。

 例えば、赤の色と青の色とは、光の波長に数値化すれば、とりあえずは比べることができますが――
 その比較は、何か色に関わっているでしょうか。

 同様に――
 例えば、赤をみる時の心地よさと青をみる時の心地よさとを被験者に点数化させて――
 その点数を比較することは、色や心地よさに関わっているでしょうか。

 関わっているにしても、ごく僅かしか関わっていないように、僕には思えます。

 それでも――
 人は比べたがるのですよね。

 比べられないことを、比べられないとわかっていながら、あえて比べたがる――

 なぜなのでしょう。

 ……

 ……

 まあ――
 おそらくは――

 人が何かを決断し、行動するには――
 こうした比較に基づく分析が不可避だからなのでしょう。

 こうした比較の欲求は、人の心の基本的性質の一つであって――
 この気質がなくなったら、人は、人ではなくなるかもしれない、と――
 今の僕は、半ば本気で思っています。