マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今だったら、たぶん5日ももたない

 きのうまで、
(いいな~)
 と思っていたことが、きょうは、
(イマイチだな~)
 と思ったり――

 半日前まで、
(面白いな~)
 と思っていたことが、今は、
(つまらないな~)
 と思ったり――

 40歳を過ぎて――
 興味・関心の持続時間が、ずいぶん短くなったように感じます。

 10代や20代の頃は――
 けっこう持続時間が長かった――1か月とか2か月とか――
 場合によっては、3年とか5年とか――

 歳をとって――
 色々なことを知って、考え――

 比較検討の対象を数多く記憶してしまっていることが――
 最大の原因でしょう。

(あ。これは、あれとよく似てるね)
 とか、
(結局、あのことに通底してるんでしょ)
 とか――

     *

 高校1年の頃――
 陳舜臣さんの『阿片戦争』(上・中・下全3巻)を書店で手にとって――
 裏表紙の内容紹介文に深く感じ入り――

 あまりにも感じ入りすぎて――
 結局、買うのをためらったことがあります。

 その紹介文から得た感動が――
 小説の中身を読むことで、かえって薄まってしまうのではないかと不安に思ったのですね。

「かえって薄まってしまう」と直感したのは――
 当時の僕が、いわゆるアヘン戦争当時の清朝末期の中国史に疎かったからです。

(疎いままで読んでも、物語の中に入っていけない)
 と感じたのですね。

 なので、
(まずは清朝末期の中国史をよく勉強してから読もう)
 と思ったのですが――

 それから20年以上が経って――
 今もって小説『阿片戦争』は読んでおりません。

 同じ陳舜臣さんの著作に『実録アヘン戦争』があって――
 そちらは大学に入ったあとで一読をしたのですが――

 そのときの気持ちや、そのあとのことなどは――
 よく覚えていないのです。

 たぶん――
 その『実録アヘン戦争』を基に、清朝末期の中国史を勉強した結果――
 小説『阿片戦争』への興味・関心が、満たされてしまったか、薄れてしまったか――

 とにかく、小説『阿片戦争』は、読んでいないのですね。

 ただし――
 そうやって小説『阿片戦争』への興味・関心を失うまでの時間は、ざっと5年――
 最初に書店で手にとってから、何だかんだで、5年くらいは興味・関心が続いていました。

(今だったら、たぶん5日ももたないよな~)
 と思います。

 先週、
(あ。これ、面白そう)
 と思って心に留めていた歴史小説があったのですが――

 今は――
 その歴史小説のどこを「面白そう」と思ったのかさえ――
 よく思い出せません。

 ちなみに――

     *

 陳舜臣さんの小説『阿片戦争』の裏表紙に書かれた内容紹介文は――

 今日では――
 某有力ネット通販サイト(南米の熱帯雨林を想起させる社名のもの)で確認できます。

 今になって改めて読むと、粗の目立つ文章ですが――
 歴史好きの高校生を魅了するには、十分であったでしょう。