マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分が同意できない意見を楽しむ近道

 自分が同意できない意見を聞いたり、読んだりすることは――
 決して愉快なことではありませんよね。

(け! 何いってやがる!)
 と腹が立ったり、気分が悪くなったりします。

 とはいえ――
 毎日ふつうに生活していれば――
 そうした意見に触れる機会は必ずあるわけで――

 どうせ触れるなら――
 そうした意見を聞いたり、読んだりすることを――
 積極的に楽しんだらよいと思うのです。

 楽しむには、どうすればよいか――

 もっとも手っとり早くて確実な方法は、おそらく――
 自分が同意できない意見それ自体ではなく、その意見の理由に、関心をもつことです。 

 理由というのは――
 たいていは前提や根拠に立脚した論理の展開です。

 一般に、論理は、感情と違って、共有しやすいので――
 論理の展開を追いかけることは、それほど苦痛ではありません。

 もちろん――
 なかには、前提や根拠だけしかなくて、論理の展開が全くない場合もありえますが――
 論理の展開がないということ――前提や根拠が直接的に支持しているということ――も、論理の展開の一種とみなせなくはないので――
 何ら問題はないわけです。

 とにかく――
 いかなる理由であれ、その理由の中身に関心をもつ――

 ――この人は、私が同意できない意見を、なぜ主張してるんだろう?

 と疑問に思う――
 それこそ、自分が同意できない意見を楽しむ近道だ、と――
 僕は思っています。

 ただし――
 論理の展開を追いかけるということは――
 それを追いかけることに、ある程度、習熟していないと――
 追いかけようがないのですよね。

 幸い――
 論理の展開を追いかけることは、後天的な技能であって、先天的な才能ではありませんから――
 努力次第で何とかなるとは思いますが――

 さすがに一朝一夕の努力では――
 何ともならないでしょう。

 そこが苦しいところです。