夏休みの時期ですね。
“夏休み”といえば、
――宿題
です。
そして――
“夏休みの宿題”といえば、
――読書感想文
が定番の一つですが――
小学生の頃の僕は――
この読書感想文が大嫌いでした。
何がイヤだったか――
暗黙の不文律がイヤでしたね。
読書をするときは批判的な感想をもってはいけないとか――
子どもらしい視点や表現を大切にしなければならないとか――
まるで“読書感想指定文”みたいな――(苦笑
中学生になってもイヤで――
高校生になって、ようやくイヤでなくなったのですが――
それは――
“読書感想指定文”を自分で勝手に“物語展開評論文”に変えたからです。
そうしたら、妙に面白くなりましてね~。
例えば、古典の巨匠を相手に、
――このような物語展開で、はたして読者は納得するであろうか?
みたいな議論をぶち上げては、喜んでおりました。
現代文の先生にも、
――これは、感想文じゃなく、評論文だね。
などと一刀両断にされましたが――
その先生の表情は、けっこう柔和だったので、とくに問題視はされていなかったようです。
このような姑息な手段でも思いつかない限り――
読書感想文は苦痛にしかならないと、僕は思うのですが――
それでも――
読書感想文に取り組まなければならないのなら――
まずは、
――読書とは何ぞや?
とか、
――感想とは何ぞや?
とかいうことを真剣に考えるのが、よいでしょう。
……
……
読書とは何か――
その書籍の内容を把握し、筆者の意図を正確に理解することです。
感想とは何か――
直情的な感覚、しぜんと湧きあがる思い、しぜんと練り上がる考えです。
つまり――
読書感想文をきちんと書き上げるには――
きちんと読書をやりとげ、すべての感想を余すところなく自覚するところから始まります。
これが、けっこう難しいんですよ。
たとえ高校生であっても――
ふつうの高校生なら、まず無理です。
大学生であって、文学的な素養のある人なら、
(まあ、可能かな)
というくらいの難度です。
ですから――
小学生や中学生にとって読書感想文が苦痛以外の何ものでもないことは、至極当然の原理であるわけですが――
それでも――
読書感想文を、あえて小学生や中学生に求めることにも、一定の意義はあるといえます。
――とてつもなく難しい。
ということを痛感できる絶好の機会だからです。
小学生や中学生にとって、
――世の中には、とてつもなく難しい“知の営み”があるのだ。
ということを1年でも早く実感しておくことは――
その後の精神的成熟に多大な好影響を与えます。