マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“わがまま”に上手に突き動かされる

 ――わがまま

 といいますと――

 その“わがまま”をいかに上手に抑えるかが大切――
 と思われがちですが――

 僕は――
 その“わがまま”にいかに上手に突き動かされるかも同じくらいに大切――
 と思っています。

“わがまま”に上手に突き動かされるとは――
 どういうことか――

 第一に――
 思い残すことなく“わがまま”を全うすることです。

 あとで、

 ――ちょっと物足りなかったな~。

 とか、

 ――もう少しやっとけばよかった。

 と悔いることのないように――
 自分の欲求を存分に満たすことです。

 が――
 それだけでは不十分でして――

 第二に――
“わがまま”を全うすること、ないし、自分の欲求を存分に満たすことが――
 あくまでも、自分の願望や都合であることを忘れないということですね。

 あるいは――
 しょせんは自分がやりたくてやっているのであり――
 誰かに頼まれてやっているのではないということ――

 あるいは――
 誰かのために良かれと思ってやっているのではなく――
 自分のために良かれと思ってやっているということ――

 おそらく――
 第一のことよりも、第二のことのほうが――
 より重要であろうと思いますが――

 実行が困難なのも――
 たぶん、第一のほうではなく、第二のほうでしょう。