マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

例えば、「宇宙人は地球にやってきているか」というテーマで

 いくつになっても思考の柔軟性を保つには――

 ときに、日常の憂さを忘れて――
 一見バカバカしい議論を大真面目にやってみるのが――
 よいのかもしれません。

 例えば、

 ――宇宙人は地球にやってきているか。

 というテーマで真剣に討論をしてみる――

 あくまで「真剣に」ですよ。

 こういう討論は、真剣にやるから面白いのであって――
 遊び半分にやったら、本当にバカバカしく感じられるものです。

 どんなにふうに真剣にやるか――

 まずは、「宇宙人」の定義です。

 彼らは、どういう生物種か――

「宇宙人」という呼称があてられているのですから――
 当然ながら――
 彼らは宇宙空間を生活の場にしているはずで――

 そうであるならば――

 例えば――
 地球という惑星の表面を生活の場にしている僕ら人類――つまり、地球人――とは、体を構成する物質が根本的に異なるはずです。

 ひょっとすると――
 物質によって構成される体というものを、そもそも備えていないのかもしれない――

 そういう生物種の存在を――
 現代の生物学は、全く説明できないのですが――

 現代の生物学が万能であるわけはなく――

 むしろ、現代の生物学が未完成であることは――
 高校課程レベルの生物学をしっかりと学べば、容易にわかることです。

 ……

 ……

 などというふうに――

 自分以外の誰かと――
 一見バカバカしい議論を大真面目にやってみることで――

 それまでの自分の思考の定型性や硬直性がよくわかってきます。

 そして――
 そうした定型性や硬直性こそが――
 僕らに、いわゆる“日常の憂さ”を感じさせていたことも――

 ……

 ……

 あるいは――

 こういうこともできるのではないでしょうか。

 バカバカしい議論のもっともらしさを実感することで――
 もっともらしい議論のバカバカしさを痛感することができる、と――

 そう思います。