マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「品格」という言葉がハヤっていた理由

 ひところ、

 ――品格

 という言葉が物すごくハヤっていました。

 なんで、あんなにハヤったのでしょうね。

 当時は、よくわかりませんでしたし――
 今も、そんなにわかっているわけではないのですが――

 一ついえることは――

 品格の有無は――
 しょせん、誰か個人の主観によってしか判断されえない――
 ということです。

 ある人にとっては、品格があるように感じられることでも――
 別の誰かにとっては、品格がないように感じられる――
 ということが――
 いくらでもありうるからです。

「品格」という概念は、主観的な価値観に基づいているのですね。

 ところが――
 この「品格」を規定する価値観というのは――
 同一世代でほぼ一致することが、しばしばあるそうで――

 例えば――
 20~30代の人たちで、ある一つの“品格”を共有し――
 40~50代の人たちで、それとは別の“品格”を共有し――
 60~70代の人たちで、さらに別の“品格”を共有し――
 80~90代の人たちで、さらにさらに別の“品格”を共有し――
 というような状況が――
 容易に想定されうるということです。

 こうした想定を前提とすれば――
「品格」という言葉がハヤっていた理由は――
 典型的な世代間闘争が起こっていたから――
 ということになります。

 どんな闘争かといえば――
 価値観の違いに端を発する思想的な闘争です。

「品格」という言葉が妙にハヤっていた頃――
『○○の品格』というタイトルの書籍が数多く出版されていましたが――

 あの頃、この国で思想的な闘争が起こっていたと考えれば――
 出版の多さにも合点はいきます。