マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

能力主義は平等・不平等の問題か

 能力主義を平等・不平等の観点から捉える人は――
 決して少なくないと思います。

 能力主義とは――
 能力が高い人には重要な地位や役職を任せ――
 能力がさほど高くない人には、さほど重要でない地位や役職を任せる――
 といった組織運営の方針のことです。

 能力主義に批判的な人は、 

 ――任せる地位や役職に差をつけるのだから、あきらかに不平等だ。

 と主張します。

 たしかに、能力主義には差別化の側面がなくはないので――
 こうした主張にも一定の理解は示せます。

 が――
 当然ながら、

 ――あくまで、能力に応じて差をつけるのだから、むしろ平等だ。

 と主張する人もいます。

 能力主義に肯定的な人は、そうです。

 どちらの主張が妥当でしょうか。

 ……

 ……

 真面目に考え始めると――
 けっこう大変です(笑

 ……

 ……

 僕は、

 ――能力主義は、少なくとも部分的には運・不運の問題であって、必ずしも平等・不平等の問題ではない。

 と考えています。

 なぜか――

 能力の評価では――
 必ず主観性の問題が混入するからです。

 ある人が、

 ――能力が高い。

 とか、

 ――さほどでもない。

 と判断される際に――
 基準は何か――

 もちろん、様々な基準が客観的に援用されるわけが――
 それら援用を経て最終的に判断を下しているのは、人の主観です。

 人の主観が人の能力を最終的には評価する――

 この時――
 評価する人と評価される人との相性の良し悪しは、決して無視されえません。

 誰に評価されるのか――
 相性の良い人に評価されるのか、良くない人に評価されるのか――

 その巡りあわせが――
 人の能力の評価を確実に修飾します。

 そして――
 人と人との巡りあわせは、通常、人知を越えていますから――
 誰によって評価されるかは、原理的には運・不運の問題であって、平等・不平等の問題ではありません。

 そして――
 能力主義は――
 人の能力が人の主観によって評価されることを前提としています。

 よって――
 能力主義は、少なくとも部分的には運・不運の問題であって、必ずしも平等・不平等の問題ではない、と――
 考えることができるのです。