マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

見られているから美しいのか

 美しい人は――
 いつも誰かに見られているものですが――

 美しいから、いつも見られているのか――
 いつも見られているから、美しいのか――

 それが――
 時々わからなくなります。

 ここでいう「美しい」とは――
 若くて綺麗な女性の美しさのことばかりではありませんよ。

 人としての美しさです。

 人としての美しさには、年齢も性別も関係ありません。

 ……

 ……

 70代くらいの人にいわせると、

 ――そんなのは簡単だ。

 という話です。

 ――美しいから見られているのではない! 見られているから美しいのだ!

 と――

 たしかに――
 70代になっても80代になっても90代になっても、美しい人たちというのは、一定の割合であります。

 そういう人たちは――
 僕の知る限り、たいていは、いつも誰かに見られている生活を送っているものです。

 例えば――
 いつも誰かに見られていることが必要な仕事を続けている、とか――

 が――
 そのような生活を送っている人でも――
 全員が美しいわけではないのですね。

 中には――
 まったく美しくない人も――
 けっこうな割合である――

 結局、根本的には当人の気概なのだろう、と――
 僕は考えます。

 当人が「よし! 美しくあろう!」と意を決し、その決意を実践し続けない限り――
 人は美しくなれないのではないか、と――

 見られているから、美しくなるのではなくて――見られているから、「美しくあろう!」と決意しやすくなる――
 そういうことではないかと思っています。