同じ「ダメ出し」なら――
誰によって出されるかで――
話は、ずいぶんと変わってきます。
以下は――
僕が、書籍『失敗が教えてくれること』(竹内薫著、総合法令出版、2014年)に監修として関わらせて頂いたときに洩れ伺った話です。
*
高校生が科学研究のアイディアを発表し、それに超一流の科学者や技術者が講評を加える――
というシンポジウムが催されました。
高校生は、以下のアイディアを発表しました。
――人類が、遠い将来、別の恒星系へ移動するのに必要な宇宙船では、エンジンにエネルギーを持続的に供給しなければならない。そのエネルギー源として、ヒトのがん細胞であるヒーラ細胞とデンキウナギの発電細胞とを掛け合わせた細胞を用意する。がん細胞は無限に増殖することが知られている。よって、その掛け合わせ細胞は無限に増殖しながら発電を続けるはずである。
これに対し――
超一流の科学者や技術者は、何と講評したか――
――高校生らしい斬新なアイディアだ。
と褒めちぎるのかと思いきや――
今日の科学ないし科学技術の知見に照らし、容赦なく批判をしたのだそうです。
曰く、
――細胞を増殖させるにはエネルギーがいる。その掛け合わせ細胞を無限に増殖させるためには、無限のエネルギーが必要になるのでは?
とか、
――エネルギーをわざわざ電気に変換する意義がわからない。エンジンを動かし続けるのに電気である必要はない。
とか――
超一流の科学者や技術者たちが、科学や科学技術の素人である高校生に向かって、そのアイディアの欠点を明確に指摘したことで――
会場は静まり返ったといいます。
*
この話を最初に聞いたときに――
僕は、はっきりいって、
(大人げない)
と思いました。
(そこまでやるか?)
と――
(相手は高校生だぞ?)
と――
(本気で批判して、どうするんだ?)
と――
同時に――
半ば憤りを覚えました。
(その高校生を指導したであろう高校の先生は、いったい何を指導したのか)
と――
が――
僕は間違っていました。
高校生のアイディアの欠点を容赦なく指摘した科学者や技術者は、すばらしかったと思います。
高校生を“格下”と見下さずに、まったく対等な立場から、真剣に疑義を提示したのですから――
そして――
その高校生を指導したであろう先生も、十分に熟慮を重ねた上でのことではなかったか、と――
今の僕は考えています。
そのアイディアの欠点は、大学の教養課程くらいの知識や理解があれば、容易に指摘できるものでした。
そうした指摘を――
いつも身近にいる教師が行うのと――
超一流の科学者や技術者が行うのとでは――
どちらが後学に有効か――
答えは明らかです。
ちなみに――
ここでいう「一流の科学者や技術者」とは、ノーベル賞受賞者であったり誰もが知る国家的研究プロジェクトのリーダーであったりします。