マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「やってみる」が嫌われる理由

 ――やってみる。

 という表現は――
 けっこう嫌われているようですね。

 例えば――
 会社などで、若手が、

 ――わかりました。やってみます。

 といったら――
 上役が、

 ――「やってみる」など必要ない! 「やる」か「やらない」かだ!

 と怒鳴った――
 といった話をときどき耳にします。

 おそらく――
「やってみる」の表現の中に、

 ――それをやる意義があるのか、いま一つハッキリしないけれども、とりあえずやってみて、その結果を吟味した上で慎重に判断する。

 といった意味合いが含まれているのでしょう。

 それゆえに――
「やってみる」といわれたほうは、

 ――あなたの判断はあてにならないから、自分で判断をしたい。

 といわれたような感じがして気分が悪くなるのだと思います。

 要するに――
「やってみる」は、基本的には、目上の人に向かって口にしてはいけない言葉なのですね。

 が――
 目上でない人に向かっていう分には、とくに問題はないように感じます。

 会社などで、上役が若手に向かって、

 ――きのう、やってみたよ。

 といったとしても――
 とくに気分が悪くなる若手はいないでしょう。

 とりわけ――
「やってみて」と依頼の形で口にする分には、まったく支障がないと思います。

 ――あすまでにやってみてよ。

 といわれれば――
 いわれたほうは、

 ――自分では判断できないから、あなたに判断してほしい。

 という意味で受けとることができます。

「やってみて」には、相手への敬意が込められている――
 といっても、よいのではないでしょうか。