マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

おカネは社会の“血液”か

 ――おカネは社会の“血液”

 という喩えを――
 よく見聞きします。

 体が健康であるためには、血液を淀みなく循環させることが必要であるように――
 社会が健全に機能するためには、金銭を淀みなく循環させることが必要である――
 という考え方を端的に表したものです。

 貯蓄過多を戒める意味もあるようです。

 この喩え――

 僕は、
(なんか間違ってる)
 と思っています。

 社会を体に喩えるのは、よいと思うのです。

 が――
 その場合、金銭が“血液”でよいのかということは――
 もう少し慎重に判断する必要があるのではないでしょうか。

 社会を体に喩えるなら――
 社会を構成する個人は、体を構成する細胞に相当するでしょう。

 体では、これら細胞の一つひとつに酸素や栄養素を与え、二酸化炭素や老廃物を受けとる役割を――
 血液が果たしています。

 もし、おカネが社会の“血液”であるというのであれば――

 金銭は――
 社会にとっての“酸素や栄養素”を個人に与え、“二酸化炭素や老廃物”を個人から受けとるという役割を――
 果たしていなければなりません。

 金銭は、そのような役割を果たしているでしょうか。

 社会にとっての“酸素や栄養素”は、生活必需品に当たるでしょう。
 また、“二酸化炭素や老廃物”は、生活廃棄物に当たるでしょう。

 これらの物品を――
 金銭は与えたり受けとったりしているでしょうか。

 していませんよね。

 金銭は、これら物品のやりとりに介在はしていますが――
 これら物品を直に運搬しているわけではありません。

 直に運搬しているのは、様々な輸送手段(トラック、貨物列車、送電線、ガス管、水道管、下水管など)です。

 よって、「おカネは社会の血液」というのは――
 実は、そんなに的確な喩えではないと考えることができます。

 では――
 おカネは、社会にとっての何なのか――

 ……

 ……

 それにピタと当てはまる概念を――
 僕は知りません。

 が――
 強いていうならば、

 ――生体エネルギー

 でしょうか。

 体の中は、種々のエネルギー(化学エネルギー、電気エネルギー、熱エネルギーなど)が巡っていると考えられています。
 これらエネルギーのうち、体が生きる上で欠かせないものは「生体エネルギー」と総称されています。

 エネルギーには様々な形式があります。

(この点が、おカネによく似ている)
 と、僕は思います。

 おカネには様々な形式がありますよね――例えば、紙幣とか硬貨とか証券とか電子マネーとか――

 そして――
 何より、おカネには色がありません。

 エネルギーにも色はありません。