マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“許されること”の難しさ

 誰かを許すことと――
 誰かに許されることと――

 どちらも、かなり難しいことではありますが――

 強いていえば――
“許されること”のほうが、より難しいでしょうね。

 以下は――
 中学生の頃に、海外の作家のエッセイか何かで読んだ話です。

 あれから30年くらい経っているのに――
 今も忘れられません。

     *

 まだ小さかった頃に――
 弟とケンカをした。

 非は、あきらかに私にあった。

 が――
 私は自分の非を認めず、弟を罵倒し続けた。

 弟は、ただ泣きじゃくった。

 その後、何十年か経って――

 私は、あの日の過ちを認め――
 弟に許しを乞いたくなった。

 弟に会い――
 経緯を話し――
 謝罪をした。

 が――

 弟は、
「そんなこと、ありましたかね」
 と笑う。

 弟は――
 あの日の私の卑怯な振る舞いを――
 まったく覚えていなかった。

 私は愕然とした。

(弟に許してもらえることは、もう決してないのか)
 と――

 弟に許しを乞うことはできる。

 が――
 弟は私の非を覚えていない。

 覚えていない以上――
 私を許すことは決してできないのだ。

     *

 ――許しは乞える。が、許してもらえない。

 ここに――
“許されること”の難しさが凝縮されているように思います。