マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「許したふりをする」とか「許したつもりになる」とか

 誰かに許されることのほうが、誰かを許すことよりも、難しい――
 というのは――

 きのうの『道草日記』で述べた通りですが――

 許すことだって――
 そんなに簡単ではありません。

 例えば――

 子どもを交通事故で亡くした親は――
 その事故の加害者を、簡単には許せません。

 加害者が――
 繰り返し土下座で許しを乞うても――
 多額の見舞金を送り続けても――

 親が、心から許す気持ちになれることは――
 なかなかに期待しがたい――

 が――
 繰り返し詫びられて、償いをされ続けると――
 だんだん、そのこと自体に辟易としてきて、

 ――もう、どうでもいい。

 という気持ちのもとに、

 ――許したふりをする。

 とか、

 ――許したつもりになる。

 といったことは――
 大いにありうると思います。

 このくらいの不誠実を――
 誰が咎められるでしょうか。

 ……

 ……

 少なくとも――
 家族を交通事故で殺された、というような深刻かつ凄惨な事例では――

 遺族が心の底から満ち足りた気分で加害者を許すということは――
 並大抵のことではありません。