マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

寛大で高潔で誠実な悪でもよい

 勧善懲悪の物語では――
 悪役は、たんなる引き立て役ではありません。

 もう一つの主役――準主役――
 といってよいでしょう。

 一般に――
 勧善懲悪の物語の悪役は――
 ひどく残忍であったり――
 ひどく俗物であったり――
 ひどく卑怯であったりするものですが――

 別に――
 ひどく寛大で――
 ひどく高潔で――
 ひどく誠実であったとしても――
 一向にかまわないのです。

 ただ、“善”に対する“悪”でありさえすればよい――
“善”とされる主役と、不可避的に敵対し続ける“悪”であればよい――
 互いに歩み寄る余地をまったく見出せない関係ならば、それでよい――

 そういうことです。

 ……

 ……

 勧善懲悪の物語では――
 いかなる主役に、いかなる悪役が当てられるかが、重視されがちですが――

 おそらく――
 そこが真のポイントではありません。

 ……

 ……

 真のポイントは――

 抜き差しならぬ対立関係――

 あるいは――
 宿命的な好敵手どうし――

 ……

 ……

 そうした敵対の構図をいかに作り出すかが――
 勧善懲悪の物語で重視されるべきポイントです。

 そして――
 その構図の中で、永続的に敵対する2者のうち――

 強大で有利なほうを“悪”とし――
 弱小で不利なほうを“善”とすると――

 勧善懲悪の様相が、一気に精気を帯びてきます。

 ……

 ……

 強大な悪へ弱小の善が、いかに挑みかかっていくか――

 それこそが――
 勧善懲悪の物語の醍醐味です。