恋愛の物語では、
――主役はモテず、相手役はモテる。
という鉄則があるように思います。
主役がモテて、相手役がモテなかったら――
物語として成立し難いといえます。
当然ですよね。
まったくモテない相手役に惹かれる主役が、やたらとモテていたら――
物語の受け手は、ちょっと感情移入しづらいと思います。
――そんなの、わざわざ相手にしなくていいじゃんか!
という話になります。
それでも――
モテる主役とモテない相手役とで、なんとか恋愛の物語を成立させられないか、というようなことを――
たまに考えることがあります。
参考になるのは――
勧善懲悪の物語です。
勧善懲悪の物語では――
懲らしめられる“悪”が、懲らしめる“善”より、巨大で強力であることが鉄則とされています。
が――
なかには、例外があって――
大して巨大でも強力でもない“悪”が、そこそこに巨大で強力な“善”によって懲らしめられる――
という物語もあるのですね。
1970年代に始まったTVアニメ『タイムボカン』シリーズが好例でしょう。
コミカルな悪役3人組は――
大して巨大でも強力でもありません。
が――
そのコミカルな一面が何ものにも代え難い“悪”の魅力となって“善”を引き立てたことで――
『タイムボカン』シリーズは不動の人気を得ました。
このことは――
たとえ、物語の鉄則を破っても、きちんと破綻を補えば――
物語として十分に成立することを示しています。
同じことが――
恋愛の物語にもいえないでしょうか。
主役は割とモテて、相手役は全くモテなくても――
その相手役に十分な魅力があれば――
物語として十分に成立するのではないか――
かなり難しい課題ではありますが――
真剣に考えてみると、なかなかに面白いと思います。
よくあるパターンは――
美男・美女なのに性格が異様に歪んでいる、というものですが――
これは邪道です。
なぜならば――
いくら異様に性格が歪んでいても、美男・美女であれば、ある程度はモテてしまいますから――
もちろん――
性格が非常に素晴らしいのに醜男・醜女――
というパターンなら申し分はありません。
が――
そんなパターンは実効的でしょうかね。
……
……
たぶん――
「美男・美女」や「醜男・醜女」といった発想から抜け出さないと、ダメなのです。