未来の出来事を――
まるで現代の外国での出来事のように現実感をもって語られると――
嫌でも気にせざるを得なくなります。
――30年後には、現代の半分以上の職業が、人工知能に取って代わられている。
といわれると――
まるで、
といわれたような錯覚を覚えます。
もちろん、「アメリカ」の部分は、「ヨーロッパ」でも「中東」でも「アフリカ」でも、どこでもよいのですが――
……
……
当たり前ですが――
実際には――
30年後のことは、誰にもわかりません。
……
……
こう述べると――
誤解されるかもしれませんので――
あえて注釈を加えますと――
僕は、「30年後には、現代の半分以上の職業が、人工知能に取って代わられている」という予測が荒唐無稽とは思っていません。
(大いにありうる)
と考えています。
少なくとも――
昨今の人工知能の発達の速さをみれば――
説得力を感じずにはいられない――
ひと昔前までは――
既に破ってしまった現実があります。
が――
そうした説得力のある予測を話題にする前提として、
――未来のことは誰にもわからない。
という原理を――
僕らは今一度、確認しておく必要があろうかと思うのです。
今から30年前の1986年に――
今日のインターネット社会を具体的に予測できていた人は皆無でしょう。
1986年の時点で――
当時もっとも先見性に富んでいた有識者であっても――
例えば、今日のソーシャル・ネット・サービスの実態を詳細に予測できていたとは――
ちょっと思えません。
仮に、「30年後には、現代の半分以上の職業が、人工知能に取って代わられている」といった予測が完全に正しかったとして――
2046年の時点では――
この記述からは決して窺い知れない実態が――
人類を待ち受けているはずなのです。