マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「歌は文芸か」の答えは誰が出すべきか

 ――「歌も文芸である」との命題は、音楽の存在意義を軽視しているのではないか。

 ということを――
 2016年10月18日の『道草日記』で述べました。

 今年のノーベル文学賞が音楽家ボブ・ディランさんに授与される――
 とのニュースを受けてのことでした。

 その後――
 ボブ・ディランさんが受賞を固辞するのかしないのかで、去就が注目され――

 しばらくの沈黙を経て――
 ボブ・ディランさんは、受賞を固辞しないと表明し――
 実際、今月の10日にノーベル文学賞をお受けになりました。

 授与式には、先約があるとの理由で、列席はされませんでしたが――
 スピーチが、駐スウェーデン米大使によって代読されています。

 その中で――
 ボブ・ディランさんは、

 ――あのウィリアム・シェイクスピアは、自分を劇作家とみなしていたと考えている。

 と、おっしゃりました。

 ――自分の作品は、あくまでも劇であり、それが文芸かどうかについては、考えたことがなかったのではないか。

 と――

 そして――
 こう告白されます。

 ――私も、自分の歌が文芸かどうかについては、考えたことがなかった。

 と――

 これを受け――
 スウェーデン・アカデミーに対し、丁寧な謝辞が述べられます。

 ――「歌は文芸か」と問い、考え、答えを出して下さったことに、厚く御礼を申し上げます。

 と――

 ……

 ……

 思慮の深さが伝わってくるスピーチでした。

 その謝辞は――
 考えに考えを重ねた末のものであったに違いありません。

 そこから読みとれることは――
 ボブ・ディランさんご自身は、「歌は文芸か」の問いに、あえて答えをお出しにならなかった――
 ということです。

 ――それは、音楽家の自分が出すべきではない。

 というお気持ちが強くにじんでいるように――
 僕には感じられます。

 では――
 誰が、その答えを出すべきなのか――

 ボブ・ディランさんの謝辞が暗示している結論は、

 ――文芸家や文芸に深い関心を寄せている人々にこそ、その答えを出す資格がある。

 というものです。