マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本のクリスマスは岐路

 日本人にとってのクリスマスの魅力は――
 何といっても、

 ――ヨーロッパの文化や伝統への憧れ

 に尽きるといえます。

 もちろん――
 メディアや商社による市場的な演出が醸し出す雰囲気――例えば、“恋人どうしが愛を語らうクリスマス”といった雰囲気――が相応の影響を及ぼしていることは確かでしょうが――

 その雰囲気の根底を支えているのは――
 古き良きヨーロッパへの憧憬に違いありません。

 この場合の「古き良きヨーロッパ」とは――
 はっきりいえば――
 キリスト教文化圏です。

 よって――
 日本人にとってのクリスマスの魅力は、キリスト教文化圏の美徳や理念に多少なりとも裏打ちをされているといえます。

 このことは――
 キリスト教文化圏の美徳や理念を必ずしも全面的に受け入れることのできない人たち――例えば、イスラム教に傾倒している人たち――にとっては――
 重大な懸念事項となりえます。

 ――日本のクリスマスはおかしい!

 との声が、日本の商業主義の旋風にかき消されつつも、ときに殷々と響きわたるのは――
 そのためです。

 幸か不幸か――
 現代のヨーロッパは、キリスト教文化圏とイコールでは結べません。

 イスラム教文化圏からの移民の増加を筆頭に、非キリスト教の橋頭堡が着実に築かれているためです。

 ……

 ……

 実は今――
 日本のクリスマスは岐路に立たされています。

 それは――
 ヨーロッパの文化や伝統が重大な岐路に立たされていることの縮小相似形と解釈できます。

 もし――
 僕ら日本人が日本のクリスマスの風習を肯定的に捉えるならば――

 それは、半ば自動的に――
 ヨーロッパの文化や伝統への追従志向――「追従志向」が表現として強すぎるならば、「親和性」――の表明となります。

 この表明を強く意識して行うぶんには、何ら問題はないのですが――
 まったく無意識に行うとなると、ちょっと危険です。

 ヨーロッパの文化や伝統が立たされている重大な岐路へ――
 無防備に突入することになりかねないからです。