事実に基づき、論理で導いた結論を、
――正論
と呼びましょう。
この“正論”は――
おもしろいことに――
人々の印象に強く訴え、感情的に主張しようとすると――
かえって、うさんくさく感じられるのですね。
事実に基づき、論理で導いた結論が――
まるで、
――怪しい何かの教えみたい。
と思われることも――
少なくありません。
ときに、
――洗脳でもしてるのか。
と疑われることもあるくらいです。
……
……
その“正論”が――
事実に基づき、論理で導いた結論であるのなら――
あえて人々の印象に強く訴える必要はなく、感情的に主張する必要もないのです。
ただ淡々と訴えればよい――
……
……
大丈夫です。
時間はかかると思いますが――
その“正論”が――
真に正論であるならば――
そのうち、必ずや――
多数派によって支持されます。
……
……
そして――
そんな“人々の印象に強く訴える感情的な主張”は――
いつまでも事実を認めず、論理を用いず――
その“正論”を頑なに拒み続けようとする人たちにこそ――
やってもらえばよいのです。