マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

歴史を学ぶ苦しみ

 歴史を学ぶ苦しみというのがあります。

 僕は、子どもの頃から歴史が好きで――
 本当に無邪気に楽しんで歴史を学んでいたのですが――

 3年ほど前に――
 四十路に入ってから――

 この“歴史を学ぶ苦しみ”のことを――
 強く意識するようになりました。

 なぜ歴史を学ぶと苦しいのか――

 その成因は――
 人類の歴史が、

 ――戦いの歴史

 であることです。

 もっといえば、

 ――殺し合いの歴史

 です。

 子どもの頃は――
 この「戦い」や「殺し合い」のことを――
 僕は一種のゲーム感覚で捉えていました。

 実際の「戦い」や「殺し合い」の現場の様相を――
 そんなにリアルには想像できていなかったからです。

 が――
 大人になって――
 四十路に入って――

 実際の「戦い」や「殺し合い」の現場の凄惨さをリアルに想像できるようになると――
 とても「ゲーム感覚」とはいっていられなくなりました。

 例えば、

  ――慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こる。

 の一文の奥に――
 どれほどの殺戮惨劇が隠されているかを――
 嫌でも思うようになる――
 
 歴史を学ぶことに、あきらかな心理的苦痛を覚えるようになったのです。

 ……

 ……

 小学生の頃――

 学校の教室で歴史のマンガ本を繰り返し読んでいたら――
 同級生の女の子たちに、
「歴史って、そんなに面白い?」
 と、眉をしかめられたことがあります。

 彼女たちは――
 たぶん、その頃すでに――
 この“歴史を学ぶ苦しみ”を肌で感じていたのでしょう。

 それから30年くらいが経って――

(そうか、そういうことだったか)
 と――
 ようやく僕は気がつきました。

 まるで、

 ――長距離走の3周遅れ

 を自覚したかのような気分です。