といった主旨のことを――
ちょうど1週間前の『道草日記』で述べました。
その大敗を喫した相手こそが――
その14年後に起こったザマの戦いで、四十路半ばのハンニバルを敗走させたのです。
歴史の巡りあわせというのは――
ときに人為の物語を超越します。
ザマの戦いで軍の主力を失ったカルタゴは――
大スキピオに恭順の意を表します。
大スキピオは、これを許し――
理性的な処置を施します。
ハンニバルの行方を血眼になって探すようなことはせず――
おそらくは――
ローマとカルタゴとの共存共栄を望んだがゆえでしょう。
大スキピオがローマに凱旋すると――
救国の英雄として、国内の賞賛を一身に浴びました。
このときに授かった尊称です。
一方――
ハンニバルは――
今度は母国カルタゴで政治家として辣腕をふるい、敗戦後の復興を主導します。
が――
強権的な政治改革が恨みを買って失脚――
ほどなくカルタゴを追われました。
このハンニバルの2度目の挫折を――
大スキピオは、いかに感じたでしょうか。
――なんと愚かなカルタゴよ。
と嘲ったのではないか、と――
僕は思っています。
と――
少なくとも――
ハンニバルに同情的であったことは、間違いないでしょう。
このころから――
二人の人生は、軌を一にして、下り坂となります。
大スキピオ自身も――
後年、自国の政敵からスキャンダルを告発されて失脚――
ローマを去ります。
そして――
南イタリアに隠棲し――
そこで生涯を閉じるのです。
死を前にして、
――なんと愚かな我が祖国よ。
と嘲ったと伝えられます。
――これでは、カルタゴの愚かを笑えぬではないか。
との嘆であったかもしれません。
同じころ――
ザマの戦いから約20年――カンナエの戦いからは30年以上が経っていました。
……
……
ところで――
きのうの『道草日記』の冒頭――
僕は、
と述べました。
実は――
ある歴史書が、
と伝えているのだそうです。
信憑性は今一つです。
その歴史書は、ザマの戦いの後、200年近くが経ってから執筆されています。
とはいえ――
その歴史書が伝えるところは、きわめて印象的です。
ザマの戦いの数年後、現在のトルコ西部へ逃れていたハンニバルは――
この2回目の会談で――
大スキピオは、
――史上最高の戦術指揮官は誰か。
と、ハンニバルに問います。
ハンニバルは――
1番目にアレクサンドロス大王の名を挙げました。
紀元前4世紀――
次いで――
そして、最後に――
自身の名を挙げました。
それを受け――
大スキピオが訊ねます。
――もし、ザマの戦いで、あなたが勝っていたら?
ハンニバルは応じました。
――私が史上最高の戦術指揮官だったろう。
……
……
ちょっと話ができすぎているので――
後世の創作ではないか、と――
僕は思うのですが――
……
……
もし――
そうでなかったとしたら――
二人は――
このやりとりを心地よく笑って締めたのではないか、と――
僕は感じています。
深い敬愛のこもった大スキピオの社交辞令に――
ハンニバルが屈託なく応じてみせた結果ではなかったか、と――
僕は思うのです。