客観より主観が優先される――
そんな時代に、どうやら、なりつつあるようですね。
たしかに――
客観という観点は、その実在を原理的には確認できず――
確認できるのは、あくまで、
――主観
であって――
それも、
――自分自身の主観
のみです。
自分以外の誰か別の人の主観は、決して確認できない――
それゆえに――
哲学の領域では、19世紀頃から、
――間主観性
といった概念――共同化された主観性の概念――が提唱されたりしているわけですが――
……
……
だからといって――
自分自身の主観だけを信じて独りよがりに生きてよいはずは、ありませんよね。
この世界には、自分以外にも、何億、何十億という“誰か別の人”たちが生きているのですから――
……
……
客観という観点は――
その実在を原理的には確認できず――
よって、
――客観は虚構に過ぎない。
とはいえますが――
それでも――
その“虚構”は必要なのです。
この世界で、自分以外の“誰か別の人”たちと巧く折り合って生きていくには――
やはり、客観という“虚構”の観点が、どうしても欠かせません。