マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

大事を成すなら近視眼的一進一退

 何か大事を成そうと思ったら――
 近視眼的になるのがよいと思います。

 ――近視眼的

 というのは――
 ふつうは悪い意味で使われるのですが――

 この反対のほう――つまり、「遠視眼的」のほう――が、より危険なのではないか、と――
 最近の僕は、考えるようになっています。

“遠視眼”は、しばしば「大局的視点」という美名のもとに正当化されますね。

 が――

 そのような視点に立って――
 はるか遠方に明瞭な目標を設定し――

 その目標に向かって一途に邁進しようとすると――

 思わぬところでつまずいたり、目標の方向へ進めずに苛立ったりする危険性が――
 高くなると思うのですよね。

 ……

 ……

 それよりは――

 近視眼的になって――
 近くに曖昧な目標を設定し――
 その都度、一進一退を繰り返すほうが――
 よいのではないかと思います。

 少なくとも――
 つまらないところでつまずいたり、思うように進めずに苛立ったりしないで――
 済むのではないか、と――

 ……

 ……

 もちろん――

 こうした近視眼的一進一退であれば――
 最終的に、どこへ辿りつくのかが、よくわかりません。

 つまり――

 仮に近視眼的になれば――
 何か大事は成せるかもしれないが――

 どんな大事が成せるかは、成してみるまで、わからない――
 ということになります。

 ……

 ……

 ちょっと心もとないでしょうか。

 が――

 ……

 ……

 遠視眼的になって――
 何ひとつ大事を成せないよりは――

 ずっとよいと思うのです。