マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

わかりやすい説明を拒む勇気

 わかりにくいことをわかりやすく説いていくのが良い説明である、と――
 いわれます。

 が――

(本当かな)
 と思います。

 わかりにくいことをわかりやすく説いたら、何か本質が欠落するのではないか、と――
 思うのです。

 少なくとも――
 その“わかりにくいこと”が、なぜ、わかりにくいのかを含めて、説いていかなければ――
 たんなる誤魔化しの域を出ないといえます。

 ただし――

 ……

 ……

 そのような説明は――

 通常――
 煩雑になります。

 説明が口頭であれば、時間がかかりますし――
 説明が文書であれば、字数がかかります。

 時間や字数のかかる説明は――
 たいていは嫌われます。

 よって――
 誤魔化しの説明が増え、しだいに本質がみえなくなっていく――

 本質がみえなくなれば――
 物事は変質します。

 ……

 ……

 つまり――
 わかりにくいことをわかりやすく説いていくことが持てはやされる時勢では――
 諸処の物事に対する人々の認識が、歪められるかもしれない――
 ということです。

 この“歪み”を防ぐには――
 社会の構成員が、一人でも多く、

 ――わかりやすい説明を拒む

 ことが必要です。

 より厳密にいえば、

 ――わかりやすいだけの説明に警戒心を抱く

 ということです。

 それは――
 具体的には――
 例えば、

 ――あなたの今の説明はわかりやすかったのですが、他の人たちの以前の説明が、なぜ、わかりにくかったのかは、わかりませんでした。

 と懸念を表明する勇気です。