マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

『夜と霧』を読む男性の後ろから

 夕方遅くに――
 わりと空いていた電車に乗り込んで座席に着いたら――

 向かいの座席に男性が座っていて――
 一冊の本を一心不乱に読んでいました。

 歳の頃は30代ないし40代――
 登山着のようなシャツに薄手のパーカーを着て、ジーンズにスニーカーをはいていました。

 読んでいた本がハード・カバーの単行本でしたから――
 タイトルも、よくみえました。

 ――夜と霧

 です。

 20世紀オーストリア精神科医ヴィクトール・フランクルの名著ですね。

 フランクルは――
 第二次世界大戦のときにナチス・ドイツによって強制収容所に入れられました。

 過酷な環境を生き延びて――

 戦後――
 その体験をもとに書籍を著し――
 世界的なベストセラーとなります。

 その書籍の邦訳版のタイトルが『夜と霧』です。

 フランクルの『夜と霧』を手に取って――
 空いている電車の中で――
 そのカジュアルな服装の男性は、いったい何を思ってページをめくっていたのか――

 ちょっと気になりました。

 ……

 ……

 単に違う時代の遠い異国で起こった惨劇の幻影を見るような思いで――
 手にとっていただけなのか――

 それとも――

 人の道を外れていく政治指導者と――
 その非道ぶりを正せずにいる――あるいは、糺せずにいる――大勢の人々と――

 そして――
 その非道ぶりに圧殺されていく弱者の姿――
 人が人によって虐げられていく現実――

 そうした――
 当時のナチス・ドイツをめぐる構図と似たような構図を――
 現代日本のどこかに見いだして――

 その男性は、『夜と霧』を手にとっていたのか――

 ……

 ……

 単に“惨劇の幻影”なら――

 まあ――
 よいのです。

 が――

 ……

 ……

 必ずしも――
 そうではないでしょう。

 ……

 ……

 無気味な時代の足音が――

 その『夜と霧』を手にとっていた男性の後ろから――
 聴こえてきたような気がしました。