マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

陰惨・暗鬱な恋、狂騒・怨讐の愛

 恋にも愛にも二面性がある――
 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 恋には、

   “爽快・明朗な恋”

 と、

   “陰惨・暗鬱な恋”

 とがあり――
 愛には、

   “安寧・慈恩の愛”

 と、

   “狂騒・怨讐の愛”

 とがある、と――

 ……

 ……

 これら2つの恋と2つの愛のうち――
 倫理的に好ましいのは――
 もちろん、“爽快・明朗な恋”や“安寧・慈恩の愛”ですが――

 娯楽的に面白いのは――
 “陰惨・暗鬱な恋”ないし“狂騒・怨讐の愛”です。

 もし――
 これら異形の恋や愛を
 虚構の物語の主題として据えることができたなら――

 その物語は――
 もう、半分くらいは成功したといえましょう。

 それくらいに――
 この“陰惨・暗鬱な恋”や“狂騒・怨讐の愛”は、複雑で、難解で――あえて誤解を恐れずにいえば――深遠であるのです。

 ただし――

 以上は――
 あくまで、虚構の世界のことであって――

 ……

 ……

 現実の世界では――

 この“陰惨・暗鬱な恋”や“狂騒・怨讐の愛”が引き金となって――
 数々の痛ましい犯罪が起こっています。

 よって――
 これら異形の恋や愛を虚構の物語の主題に据えるには――
 世間に対する十分な釈明が必要なのです。

 たまに、

 ――そんな釈明などに意味はない。そもそも、虚構の物語は悪徳を無条件で扱うためだけに存在する。虚構と現実との区別は厳密につけなければならない。

 との極論が取り沙汰されますが――

 虚構と現実との区別を厳密につけるのであれば、なおのこと――
 世間に対する釈明は絶対に欠かせません。